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小梅
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あたちは小梅。あたちの日常をのぞいてみてね(^^)
10月12日 秋晴れの風が気持ちいい日です 昨日の誕生日は 旦那からも何も言われず忘れられたまま終わるのかと思っていましたが、なななんとっっ!! サプライズがありました 以前、欲しいけど高いからと商品棚に戻した帽子を 旦那は覚えていたらしく、その1度はあきらめた帽子を買ってきてくれました パパー、ありがる〜ん さてさて、家族旅行のお話の続きです。 トロッコ列車から見えた 眉山の事について少し紹介します。 この 削り取られたような山肌をしているのが 『眉山(まゆやま)』です。 この山は 前年から続いた有感地震、普賢岳の火山活動が収まりかけたかに見えていた 1792年5月21日の夜、2度の強い地震の後 南側が大きく崩れたそうです。 3億立方メートルを超える土砂が 有明海に流れ込み、その衝撃によって発生した津波が 対岸の熊本を襲ったそうです。 さらに、その返し波が 再び島原を襲い、この災害による死者は1万5千人にも及んだそうです。 日本の火山災害史上 最大の悲劇なのだそうです。 この出来事は『島原大変 肥後迷惑』と言われているそうです。 死者の3分の1が 熊本側の被害者だったそうです。 眉山の南側の広い範囲で 削り取られたように崩落した痕が その時の被害の大きさを語っていました。 トロッコ列車を降り、『雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)』へ・・・ こちらは、その記念館前に設置されていたキャラクターらしき物です。 名前がありましたが なんだったかちゃんと見てこなかった・・・(^^:) 記念館の中には 1991年の火砕流発生の時 実際に救援活動をしていた 自衛隊のジープにモニターを設置し その当時の映像を流していました。 たいちゃんは そのジープの運転席に乗り上機嫌です・・・ 記念館の展望台からは 普賢岳の火砕流の痕が見えました。 あいにくの曇り空に 1991年の噴火によってできた平成新山を見ることはできませんでしたが、普賢岳は噴火前より噴火後 高さが100メートルほど高くなったそうです。 記念館を後にし、道を間違えながら(ナビがあるのに何故?^^:)眉山なんとかロードを通ると、火砕流によって流されてきたであろう 大きい岩なのか溶岩なのかが ごろごろしていました。 ここを通ると 火砕流の被害の大きさが想像以上であったことがわかりました。 火砕流が発生した当時、私は福岡にいました。 ニュースで見ていただけでしたが 10年以上経っても 実際にその地を訪れると その時の状況がどんなものであったのか なんだか怖くなりました。 休火山だった普賢岳の火山活動は 1990年の11月に始まったそうですが、 私はそのほんの2週間ほど前 高校の全校登山で 普賢岳に登っていたんですよねぇ・・・(・・:) いろいろ 勉強になった旅行でした。 バタバタしていたため 小梅にお土産を買えなかったので に帰ってきてから ご褒美を 小梅ねーさん、おりこうさんにお留守番 ご苦労さん どうですか?新しいベッドの寝心地は [小]くるしゅうない ・・・・・・ ああ、やっちゃったぁ・・・ 青い線が出てきたけど 直す時間がないので みにくいけど このままですみません
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